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2002年8月

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2002.08.31.sat

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ディーラーから法定12ヶ月点検の案内がありました。現在のところ不具合も感じていなかったので、今回は受けなくてもいいかなとも思いましたが、やはり長く乗りたいということと、そろそろブレーキパッドをはじめ交換時期を迎えている消耗品もあるかと考え、月曜日に点検してもらうようディーラーへ出掛け、お願いしてきました。
わざわざ出掛けていったのは、時間があったということもありますが、先日ショールームにRX7が置いてあったのを目にしていたからです。担当の営業さんと点検の打ち合わせと世間話をしてからセブンを見せてもらいました。この上なく美しいエクステリア、これぞスポーツカーといった包まれるようなコクピット…。
ロードスターというクルマがなかったら、絶対購入していたであろう、現行の国産車の中で唯一見蕩れてしまうほど美しいクルマRX7はこの8月をもってついに絶版車となってしまいました。息の長いモデルだったとはいえ、残念なことです。これにより現実的に考えて、新車かつ妥協なしで購入したいと思える国産車はロードスターしかなくなってしまいました。次期RSの噂もちらほらしていますが、RSには魅力的なライトウェイトスポーツ(FR、1t程度の重量、人馬一体、5ナンバーサイズなど)の系譜を保ってほしいものです。

ディーラー詣のあとはやっぱりドライブ。
三才山トンネルから松本を経てR19で木曽方面を目指しました。
(R19は流れが速く快適なのですが、やたら煽ってくる大型トラックが多く、これには正直怒りを覚えました。前方が開いていて流れに乗れないならともかく、流れには乗っているし、すぐ前方に他の車がいるのですから。)
奈良井宿の手前の道の駅「木曽ならかわ」でざる蕎麦を食べました。木曽は漆器が名産ということで道の駅内にも工芸館があり、漆器のできる工程や職人の作品の展示直売もありました。ほかにも長野冬季五輪で授与されたメダル(漆器と七宝)の製作工程も紹介されていました。漆器というものがどんなに手間を掛けて作られているかがよくわかります。

楢川村奈良井宿へ。奈良井宿は中山道屈指の宿場町で、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、昔ながらの風情ある町並みが保存されています。駅前にRSを置いて町並みを歩いてみました。思っていたよりもずっとその町並みが長く続いており、これだけの宿場が成り立っていたということからも昔の賑わいが想像できます。
宿の典型的な建物(奈良井宿の町並み保存のきっかけになった建物だそう)の中を見ることができる中村家資料館(大人200円)に入ってみました。うだるような炎天下から中に入ってみると風が吹き抜けてとても涼しく、空調などない昔の建物の工夫が肌で感じられました。中村家は漆塗りの櫛の販売で財をなしたということでいろいろな櫛も展示されています。また、資料館のおばちゃんが建物の説明をしてくれ、奈良井宿の建物の特徴的な部分はひさしにあるということを教えてもらいました。普通の建物だとひさしをつくる場合、支えになるサン木はひさしの下になりますが、奈良井宿ではひさしの上にあり、装飾的であると同時に強度がないため防犯にも役立ったとのことです。これは他では見られない建築様式だそうです。
ぼくのうちのちかくにも北国街道の宿場町があり、そちらにも観光客が結構訪れているようです。しかしこちらはあまり商売っ気がなく、お店はほんの数件です。静かな風情を楽しむという意味では通好みの観光ポイントかもしれません。一方、奈良井宿はかなりの数の漆器店やオリジナルの工芸品店、宿があり、立ち寄りながら楽しく散策することができました。これからの観光地というものを考えた場合、どちらが良いとは一概には言えませんが、画一化だけはせずにそれぞれの特色を活かしていってほしいと思います。
駅から宿の端まで歩いた後、樹齢300年以上の木曽桧で造られた太鼓型の木造橋「木曽の大橋」を見て再び駅へ。

せっかくここまで来たので、さらにR19を南下し上松町の「寝覚の床」へ。木曽川の激流が花崗岩を侵食してできた奇景で国の史跡名勝天然記念物に指定されています。ここには竜宮城から帰って諸国を巡り、ここを気に入って住み着いた浦島太郎が、玉手箱のことを思い出してあけた場所だという言い伝えがあります。そういった物語が発想されるのも納得できるような風景です。
切り立った大岩に登ることができ、岩の端に立つとすごく切り立っていて足がすくんでしまいます。暑さでカキ氷に惹かれて入った売店で上松町の観光パンフレットを見ると、もう少し南に「小野の滝」という滝があるということだったので、ちょっとだけ行ってみました。

「小野の滝」はホントに国道からすぐ脇にあり、クルマを降りれば滝壷のすぐ近くまで行けます。鉄道がすぐ上を通過しているのがすこし興をそいでいる感は否めませんが、クルマと滝を一緒に撮影できるのは珍しいので足を伸ばしてみた甲斐はありました。

ここで陽も大分西に傾いてきたので引き返すことに。R19を北上して星がではじめた頃、先ほどの「木曽の大橋」に差し掛かったところ、橋ががライトアップされていました。写真をとったあと橋を渡ってみたら…眩しい。夜の「木曽の大橋」は渡るためというよりも観るための橋ですね。

再び北上。ナビは最短距離として和田峠を案内していましたが、あのくねくねとした道を走るのはなんとなくイヤだったので、上諏訪の方から帰ることにしました。
諏訪湖を見下ろすことのできる立石展望公園に立ち寄ってみたところ、駐車場はほぼ満車・なぜかカメラの三脚が林立していました。何だろうと思ったら明日は諏訪湖の新作花火大会でした。ここは花火の撮影ポイントのひとつなので、みんな場所取りをしているのです。
まだ新作花火は行ったことがなく、今回は行ってみたかったのですが…明日はお仕事…来年は行けるといいなぁ。

霧が峰からビーナスラインに乗って、車山・白樺湖を経て大門峠を下って帰りました。
今日の走行距離約300km。ナカナカ実りある一日でした。
今後は南信をもっと開拓してみたいです。

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灰谷健次郎「子どもの命のかけがえのなさ」(1997)

小説「橋のない川」の住井すゑが開いていた学習会「抱樸舎」での灰谷健次郎の講演と、住井すゑとの対談を収録した一冊。

自らの教員時代の至らなかった経験なども包み隠さずに話し、それらから今の教育が抱える問題が見えてきます。(ちなみに、灰谷さんの作品の読者第1号は住井さんだそうです。)

樸というのは素朴の朴、つまり山から切り出したまんまの木というような意味なんです。…原木でいるうちは、これはなにになるかわからんという無限の可能性をもっているのです。だから人間というものは、切り出したまんまの木のように、いつも無限の可能性をもっている存在でなければいかん…(住井)

人間が人間たりうることは何なのか、ということを感動とか面白さとかを伴いながら考える。文学とはそういうものでしょう。

そうや、明日もあるんや、世の中悪うなったことは確かやけど、せいぜい50年くらいで悪くなったんでしょう。もっといっても100年くらいかかって悪くなったでしょう。そしたら200年かけてよくしたらええ、という気持ちでやればいいやんか、そういう風に生きたらええやんか。

「学んだことのたった一つの証は、変わることである」
「絶望をくぐらないところに本当の優しさはない」
(林竹二語録)

教えるとか、導く、躾るとかいう言葉は、どこか一方通行的な匂いがします。私たちの保育園では、そういった言葉は使わないようにしています。そのかわり“添う”という言葉を使っています。子どもは一人ひとり違いますから、30人の子がえれば30通りの添い方を考える。

優しいということは、人間がいのちを理解することから生まれてくるのです。いのちの認識、これが優しさの原点だということ、もののいのちの哀れさ、いとおしさがわかるということです。
(住井)

子どもってすごく深く人生を生きているということを感じるんです。…大人は子どものそこをちゃんととらまえている人は、寛大になると思います。

本当は困っている人を助けるんでなく、困る人がないような世の中にするのが大切なんです。(住井)

幸せとは、満ち足りた気持ち、それは多寡ではなく、自分が満足するという心の置き所ですよね。(住井)

2002.08.29.thudiary20020829.jpg (22124 バイト)

石川直樹「この地球(ほし)を受け継ぐ者へ 人力地球縦断プロジェクト『P2P』の全記録」(2001)

後に世界7大陸最高峰登頂<セブン・サミット>の最年少記録を達成した著者による「ポール・トゥ・ポール2000(P2P)」挑戦の約10ヶ月間、走破距離32,970kmの日記記録。
P2Pは世界7ヶ国から集まった19歳から26歳までの男女8人が北極から南極までの道のりをスキーや自転車など、主に人力の移動手段によって旅をするという壮大な計画。といえば肉体的挑戦という感じがする(そういった面も確かにある)が、実際には行く先々で様々な種類のボランティア活動や学校や地域のコミュニティで環境や旅についてのプレゼンテーションを行ったりするなど、多くの人々に訴えかけ、また参加者自らも学びの多い旅だったようです。

旅の経路は、北極の北磁点(北極点とは異なる)をスキーでスタートし、レゾリュートというところからカナダへは飛行機。カナダのフォート・マクファーソンから南米チリのプンタ・アレナスまでは自転車(パナマからエクアドルのみヨット)。飛行機で南極へ行き、南緯88度からスキーで南極点へ。
極地の極寒から、赤道付近の灼熱、そしてふたたび極地へと旅を進める中、国籍も言葉も育った環境も異なる男女が10ヶ月間もの間、ほとんどプライベートな時間も持たずに生活し、しかも資金も万全でなく、日本的なきっちりとした計画もない(だからこそこのような壮大な計画が実行できたとも言える)わけで、メンバー間で数々の衝突や葛藤があり、自然と挑戦の記録というだけでなく、人の生き方にも思いをいたすことができる本になっています。
日記ではありますが、著者も文章を書く力を磨くことを心がけていて、それぞれの人物や事件・物事を客観的に描写していて読みやすいです。ただそれゆえに、著者が透明化していてそのチームではどのような存在だったのかが、読み取れないのが少し残念です。

下にいくつか抜き書きしました。ただ読むだけでは説教くさく感じるかもしれません。しかし、彼らの旅を追っていくことで初めて胸に迫ってくる言葉だと思います。興味を持った人はぜひ読んでみてください。そして本当の旅にでましょう。
上下2段組で約450ページ、なかなか読み甲斐がありますよ。でも読み始めたら、あっという間。

暗中模索という言葉があるが、闇の中でぼくは模索などしない。自然と道は開かれる。導かれるままに進むだけだ。

これから必要になってくるのは、自然に敬意をはらい、自然とともに生きていく文化や価値観だと考えている。言葉だけのエコロジーや環境保護はいらない。

「豊かさ」とはいったいなにか。コンビニの弁当を食べ、エアコンの効いた明るい部屋でテレビを見ながら、昼とも夜ともつかない生活をすることは「豊か」なのか。汚れた服を着てはだしで駆けずりまわっている子どもたちは「貧しい」のか。日本は豊かか。腰巻一枚で生活しているミクロネシアの人々は貧しいのか。先進国は本当に「先」に「進んで」いるのか。発展途上国の「発展途上」という言葉はなにを意味するのか。

野生を失った人間は、自然を征服したつもりになっているだけだ。これほど滑稽かつ弱い生き物はない。地球のなかで自分たちが立っている位置をぼくたちははっきり認識する必要がある。


(先進国と発展途上国の関係について肌で課題を感じ、自分にできることを考えても容易には答えは出ない)その探求を脳の外でおこなうことが旅?だとしたら、ぼくの旅は永久に終わらない。

厳しい環境に自分がいること、人間をひとひねりで吹き飛ばす力強い自然の中にいることがただただうれしい。文明に飼い馴らされた身体がみしみし音をたてるのを聞くと、眠っていた力が奥底から湧きあがってくるようで、生きていることを実感する。

光は闇があるから輝く。どんなに暗い闇に見えても、必ず一条の光が差し込む余地がある。ぼくはいつも闇のなかに瞬く光を探している。闇のなかに瞬く光。光のなかにひそむ闇。人間は光に成りうるか?大切なのは見きわめること。本物を見極める力。

ぼくらの肉体と精神と魂が感じ取った「地球の時間(いま)」を、みんなと分かち合いたい。

こんなにも違う人がいる。こんなにも違う環境がある。旅をすることで自分の考えが広がっていくのを感じる

極点の向こうにも同じ空が広がっていた。風の始発はどこなのだろうと思って、遠くを見たがわからなかった。風は地球をぐるりと旅しているように思えた。この地球に地の果てなんてなかったのだ。どんな場所もどんな人間もどんな動物もすべてつながっていたのだ。空ははてしなく続き、風は永遠に旅をつづけていく。

2002.08.28.wed

同じような仕事をしている人と行き会うことがあって、話しをしていたら、なんと中学校の担任が一緒だということが判明(年齢が違うので)。ここでもまた世間の狭さを再確認。

2002.08.27.tue

先日も書きましたが、上司の一人は全く箸にも棒にもかからない、言ってることとやってることが支離滅裂な人です。
引退まであと2年ほど(どうやって今まで生きてきたんだろう?)のこの人の特徴を列挙してみると…@言うこととやることが支離滅裂。A一つのことしかできない。B抱え込んでおいてギリギリになって放り出す。C職場に私物が山盛り。Dなぜか突然キレる。E内と外、物事の順番についての判断がつかない。etc
ぼくは基本的に偏見や憶測で人を判断してしまうことは(多々あったりしますけど)、できるだけ排したいと考えています。しかし、この人の場合は実際にどうしようもなく、これまでこんなにも使えない人間に出会ったことがないので、怒りが来るというより呆れてしまうことがしばしばです。本人は多分それにも関わらず、いっぱいいっぱいで仕事してるんでしょうが。

今日はちょっとカーっとなってしまうことがありました。一言ビシッと言ってやろうとも思いましたが、言って聞くような人間なら世話がありません(周りの人にこんな風に思われる人間には絶対なりたくないものです)。言うだけ自分がイヤになりそうだったので、ちょっと席をはずして、一冊の本を開きました。その本を数ページ読んだだけで、限られた狭い世界で怒っている自分が小さく感じられ、ガス抜きをすることができました。

本(に限らず映像でも人との会話でもいいと思います)を通して自分がいるところとは異なる世界を知ることで、視野を広げたり、自分を客観視することができるようになると思います。それが本の持つ力だと思います。だからぼくは自らを内と外からもっと世界を広げたいと思います(などといいつつ、自分の読みたい本しか読んでなかったり、やりたいことしかしてなかったりして)。
そのとき開いた本というのは、ちょうど今読んでいる本なので、後日読み終えたら紹介します。→29日の石川直樹著「この地球(ほし)を受け継ぐ者へ 人力地球縦断プロジェクト『P2P』の全記録」です。

2002.08.26.mon

ぼくの職場では、週2回清掃会社からお掃除のおばちゃんに来てもらっています。先週、その会社の事務系の責任者っぽい人が来て「お気付きの点とかありますか」と聞かれたので、「夏のせいか、モップがちょっと臭いますね」と気づいた点を告げました。そうしたら今日、早速現場系の責任者らしき人が来て深々と頭を下げられてしまいました。クレームでも、深く考えて行ったわけでもなかったので、かえって恐縮してしまいました。
やはり、サービス業だけにCS(顧客満足)第一ってことなのでしょうか。即時対応など見習う点も多いと感じました。

職場での昼休み、昼食後は本を開くことが多いのですが、なんだか外がザワザワしています。なんだろうと外を覗いてみると県知事候補の田中康夫が職場の目の前で街頭演説するところでした。さすが知名度が高いだけあって、街頭演説の声を聞いて選挙権者だけでなく高校生まで足を止めていました。
喋り方がもうちょっと腹から発声したほうがいいような気がしますが、戸板に水を流すように滑らかなしゃべりっぷり。ときどき拍手まで起こっていました。選挙の結果は開けてみるまでわかりませんが、少なくとも県政にこれだけの関心を持たせたという功績は認められてもいいのかなと思います。

氷室冴子「いもうと物語」(1991)diary20020826.jpg (20683 バイト)

モノが豊かになり始めた昭和40年代の北海道。コクテツの機関士で物静かなオトーサン、ちょっとヒステリー気味の母清子、優等生で優しいけど中学生になってちょっとよそよそしくなってしまった姉の歌子に囲まれて日々を過ごす、小学4年生で勝気で活動的なチズルが主人公。
よその家にはない石油ストーブが家にやってきて喜んだり、マチからやってきた転校生に複雑な気持ちになったり、親戚の家に行ったり、自分あてに電話がかかってくる姉の姿に憧れたり、ライバル的な子と火花を散らしたりと、なんでもない女の子の毎日。

事件らしい事件といえば、大好きなおじいさんが倒れてしまったくらいで、本当になんでもない、けれど何気ないがゆえにかけがえのない毎日をチズルの感情の機微を見つめながら描いていて、感じやすい子どもの感性だけが感じ取れる、うまく言葉にできない感情のうねりを素晴らしく自然に汲み取っています。
いつも思うことですが、チズルが感じたようなことを感じていられるような感性をいつまでも持ち続けたいし、他者のそれを汲み取れる力を身に付けたいものだと思います。

2002.08.25.sun

本来は休日ですが、ヘルプでご出勤。やること自体はあまりなかったのですが、9時〜5時拘束されてしまいました。空の青さが恨めしかったので、ちょっとだけドライブ。
諏訪白樺湖小諸線〜夢の平林道で大河原峠へ行き、佐久市を経て帰宅しました。大河原峠は蓼科山の登山口のある峠で、晴れ渡っていれば浅間山や佐久平が見えるはずなのですが、今日は下のほうに霧が出ていてあんまり見晴らしは良くなくて残念。でもやはり高原は涼しくて気持ちが良かったです。天気がいい時にまた行こうと思います。

上橋菜穂子「虚空の旅人」(2001)diary20020825.jpg (35313 バイト)

第1作で女用心棒のバルサに命を救われ、第3作にも登場した、心身ともに大きく成長した新ヨゴ皇国の皇太子チャグムが主人公。
チャグムは他国の新王の即位の儀に招かれ、信頼できる学問の師で相談役のシュガと僅かな衛兵を伴って、島々からなるサンガル王国を訪れた。多少の行き違いはあったものの、チャグムは新王の弟で大将軍となるタルサンと親しくなる。
一方、王国を構成する島々には島守りという役職のものがそれぞれの島を司っていたが、島守りたちはサンガル王国併呑を企むタルシュ帝国の誘いにより、叛乱を起こそうとしていた。
そのとき、タルサンの育った島の少女が別の世界にすむ民が人の世界を見に来たのだという<ナユーグル・ライタの目>になってしまう。<ナユーグル・ライタの目>には人間の世の穢れを見せてはならないという言い伝えがあり、都の王宮でもてなした後、少女の魂が戻らない場合は<魂帰し>の儀式を行い、岬から海へ落とすのだと言う。新王の即位の儀が執り行われている最中に王宮へ連れられてきた少女を見て、かつて自らも別世界<ナユグ>の精霊の卵を産み付けられて助けられたチャグムは、少女を救えないものかと思い悩む。
島守りたちをそそのかした呪術師は<ナユーグル・ライタの目>になってしまった少女をあやつり、王と新王、新王の弟タルサンを亡き者にしようとしていたのだ。
チャグムたちは呪詛と陰謀に巻き込まれていくことになる。

「精霊の守り人」「闇の守り人」「夢の守り人」<守り人>3部作の外伝です。1巻3巻に登場したチャグムが聡明に成長し、実現困難な理想と向きあい、困難であっても自分はそれを目指していくことを決意します。全巻読んできただけに感動的です。
相変わらずしっかりとした世界観を持った物語で、安心して別世界の物語を楽しむことができます。なによりすごいと思うのは、児童書であっても安易にご都合主義に流されず、読むものを納得させながら、先の読めないストーリーをぐいぐい引っ張っていくことのできる著者の力量です。同じファンタジーを読むなら、ハリー・ポッターシリーズより絶対面白いと思います。少なくともぼくは。

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灰谷健次郎「砂場の少年」(1990)

TVディレクター、農業共同体を経て35歳にして中学校の臨時採用教員になった葛原順は学校でもフダ付きと言われているクラスの担任となる。初めての顔合わせで受持ちのクラスの活気に葛原は躊躇いの中で好感を覚えるが、その後、他の教師に大変なクラスだということを告げられる。その教師の授業の後の、葛原にとって初めての授業でもけして悪くないクラスだというイメージは変わらない。葛原はその教師はどのような授業を進めたのだろうかと考える。

現在の都市部の学校ではどうなのかわかりませんが、校門前での教師による生徒のチェックや遅刻してきた生徒が校門に挟まれて殺されたといった事件がおきた、管理教育がいくところまでいってしまった感のある頃に出版された本だと思います。

学校でも札付きとされているクラスは実は、身勝手で独尊的な教師たちの振る舞いに見て見ぬ振りをできない、感じやすく純粋な精神を持つ生徒が数多くいるクラスだったのです。

葛原は「ある約束事やしきたりの中に最初から身を浸していると、その約束事やしきたり自体が不自然、不合理なものであっても、それを吟味する前に、知らず知らずのうちにそいつを認めてしまって、何が正しいのか正しくないのか、何が人間を幸福にするのか不幸にするのかという批判精神をなくしてしまうのがこわい」という思いをもって、学校や生徒に対してできるだけ先入観を排し、生徒が関心を持てる授業内容を工夫し、およそ教師らしくない言動により生徒に受け入れられていきます。しかし、その葛原もまた妻との葛藤や自らの在り方といった問題をかかえ、そういったことを通して自らを見つめています。

灰谷作品に出てくる子どもたちは、みな鋭い感性でオトナのふりをしている自分たちにとんでもない問題を突きつけてくれます。灰谷さんの本を読むといつも教師という職業に恐怖を覚えます。と同時にそういった恐怖を覚えない人間が教師をしているとしたら、そのことにこそより恐ろしさを感じます。

灰谷作品は物語のカタチをかりた教育論です。著者の訴えたいことがひしひしと伝わってきます。「言葉の上だけでなく、本当の意味で子どもたちと同じ視線で、子どもたちから学ぶことの大切さ」を訴えていると感じましたが、お題目的に書いたところで、ほんとに著者が言いたかったであろうことはこれっぽっちも伝えられない気がします。子どもに添う仕事にある人、幼い子どもを持つ人にはぜひ灰谷作品を手にとってみて欲しいです。

作中、まど・みちおの詩を引用しています。
   もうすんだとすれば これからなのだ
   あんらくなことが 苦しいのだ
   暗いからこそ 明るいのだ
   なんにもないから すべてが有るのだ
   見ているのは 見ていないのだ
   分かっているのは 分かっていないのだ
   押されているので 押しているのだ
   落ちていきながら 昇っていくのだ
   遅れすぎて 進んでいるのだ

   一緒にいる時は一人ぼっちなのだ
   やかましいから 静かなのだ
   黙っている方が しゃべっているのだ
   笑っているだけ 泣いているのだ
   ほめていたら けなしているのだ
   うそつきは まあ正直者だ
   おくびょう者ほど 勇ましいのだ
   利口にかぎって バカなのだ
   生まれてくることは 死んでいくことだ
   なんでもないことが 大変なことなのだ

2002.08.23.fri

星野道夫「旅をする木」(1999)diary20020823.jpg (23746 バイト)

アラスカを旅した写真家星野道夫のエッセイ。
厳しくも美しい自然と、その中に生きる魅力的な人たちとの出会いや思い出がたくさん綴られています。そして掲載されたエッセイも時系列に並べられているのではなく、著者の行く先のように場所も時間も前後しあっていて、ふしぎな感興を催させます。
文中に登場する多くの魅力ある人々と深い友好関係を築くことのできる星野さんもきっと人を惹きつける魅力的な人物だったのだろうと想像できます。
しかし1996年の8月にロシアのカムチャッカ半島クリル湖畔でTV取材中にクマに襲われて亡くなられてしまったそうです。著者が撮ったであろう写真、書いたであろう文章を読めなくなってしまったことはとても残念なことですが、この本からもまさに「よく生きた」人だったのだろうと思います。

いままで星野道夫という写真家を知らずにいましたが、この本はいいよというのを何かで知り、手にとりました。実はぼくはこの著者の写真を見たことがありません…というか、見たことはあるかもしれませんが、星野道夫という写真家が撮った作品だということを認識して見たことがありません。そしてこの本にも写真は一切出てきません。この本の滋味深い文章を読んで他の著書や作品がぜひ見たくなりました。


人と出会い、その人間を好きになればなるほど、風景は広がりと深さをもってきます。やはり世界は無限の広がりを内包していると思いたいものです。

「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろ。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって?」
「写真をとるか、もし絵がうまかったらキャンバスに描いて見せるか、いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな」
「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって…その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって」


(都会に暮らす人が、一週間の休みをとってアラスカを訪れ、ある夏の夕暮れホエールウォッチングをしていたとき、突然一頭のクジラが目の前で飛び上がるという壮大な風景をみて、後日「わたしが東京であわただしく働いている時、その同じ瞬間、もしかするとアラスカの海でクジラが飛び上がっているかもしれない」と語ったことを受けて)
ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。

世界の広さを知ったことは、自分を解放し、気持ちをホッとさせた。

寒いことが、人の気持ちを暖めるんだ。離れていることが、人と人とを近づけるんだ。


藤田一咲「サバク」(2002)
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「絶滅危惧種を見に行く」の写真家藤田一咲さんの最新刊を、また送っていただきました。
「部屋の中にサバクの砂をしきつめて暮らしたいと思う」ほど、幼い頃からサバクというものに惹かれていて、北アフリカ、アラビア、中国、インド、ヒマラヤを旅して撮った写真を収めた一冊だそうです。

星野道夫さんの「旅をする木」を読み終えた直後だったので、全く対照的とはいえ、圧倒的な自然という点で共通しており、感慨深いものがありました。

詳しくはOthersの「サバク」を。

2002.08.22.thu

テニスの関係で暑気払いがあり、あまり行く気はなかったものの、誘いを受けたので(地元ではそこそこ旨いお店で、しかも安く飲めるってことにも乗せられて)顔を出してきました。
はじめての人も何人かいる中で、「年同じで同じ中学だよね」と声を掛けてくれた人がいました。話してみるとなんと、中学で同じ部活。ずいぶんイメージが変わってわかりませんでしたが、10年以上ぶりの再会です。その彼はなかなかの男前のうえ、中学から高校・大学とテニスを続けてかなり巧いらしいです。こっちは全然ヘタクソなので「負けた〜」って感じです(笑)。
それにしても、ずっと会うことのなかった知人が、高校大学などそれぞれの生活を経て、地元で働いているということになんともいえない感慨を持ちました。

2002.08.21.weddiary20020821.jpg (20264 バイト)

お盆とともに夏の暑さもどっかに行ってしまったようで、長袖でご出勤。昼間はまくっていましたが、帰りにはすっかり秋の風。半袖じゃなくて良かった〜
ぼくの周りにもあまりにも急激な気温の変化についてゆけずに体調崩している人もいます。おそらくこのまま涼しくなってしまうことはないと思うので、暑さの再来にも備えつつ体調管理をしていかないと。

帰宅してみると冊子小包が届いていました。差出人を見てみるとそこには「藤田一咲」さんの名前が。小包を開けてみると、手紙とともに「サバク」という一冊の本が入っていました。手紙には相変わらずこんなページを見てくださっていること(HPの感想を聞かせていただくことってあまりないのでうれしいです)、以前送っていただいた「絶滅危惧種を見に行く」に続いて本を出版されたこと、お仕事で8月20日から9月1日にはフランスでのロケへ行かれるといったことが書かれていました。
今回出版された本はその名のとおり「サバク」をテーマにした写真集のようです。すぐさまページをめくりたいと思いましたが、いまはグッとこらえてまだ目を通していません。後日あらためて紹介したいと思います。

カール・シファキス著/鶴田文訳「詐欺とペテンの大百科」(1996)

悪ふざけ、ホラ、作り話、でっち上げ、かたり、贋作、偽造品などの詐欺やペテンを50音順の項目で騙しのテクニックや著名なペテン師を紹介しています。
500ページもあり、全部を精読したわけではありませんが、これなら騙されても仕方ないかという緻密な詐欺もあれば、何で引っかかるのかと思うような稚拙なペテンもあります。百科事典的な本なので文章自体が面白いというわけではないですが、そのカラクリがよくわかります。
現代の詐欺も昔からある詐欺の手管とそう違ってはいない(むしろそのまま通用しそうなものもある)ことに、今も昔も変わらない人間の欲や業、その反面、人のよさも感じました。まぁ、世の中そう旨い話はないってことですね。

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清水義範「ザ・勝負」(2002)

アレキサンダー大王と始皇帝ではどちらが偉大かなど、いろんなものをリングに上げて闘わせる知的ゲーム感覚の一冊。
俎に上げられているのは @始皇帝VS.アレキサンダー大王 Aゾロアスター教VS.ジャイナ教 BソースVS.醤油 CシンデレラVS.白雪姫 D米VS.麦 E長嶋茂雄VS.王貞治 Fレオナルド・ダ・ヴィンチVS.ミケランジェロ G嫁VS.姑 H東京VS.大阪 I砂VS.水 の十番勝負。
相変わらずの軽妙な語り口で、お酒の席なんかでありそうな話題から、落語をパスティーシュしたものなど多種多彩。最終的にどちらが偉大だとか、強いとか結論づけてはいないので自分はどっちの肩を持とうかなと楽しんで読めます。

2002.08.19.mon

お盆もおわり、日常生活が始まりました。田んぼの稲もついこの間植えて青々としてきたと思ったら気付いてみると早くも頭を垂れはじめていました。
就職してからの日々はほんとに加速度的に過ぎ去っていくような気がします。

2002.08.18.sun

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天気が悪そうだとか、台風がきているらしいとか、もうクラゲが出てるんじゃないかという話は聞かなかったことにしてこの夏初めての海水浴に出掛けました。
長野から海へ行くとなると普通は上信越道かR18を利用して上越の方へ出るか、白馬の方から糸魚川へ出るのが普通ですが、折角なので敢えて乗鞍を越えて富山の海を目指すことに。

家を5時30分に出て、三才山トンネル、松本トンネル、R158を通って乗鞍高原へ。やっぱり朝の移動は交通量も少ないし涼しいし気持ちいいです。
7月7日(霧で視界がほとんどなくて何も見えなかった)と同じ道で畳平まで行きました(8:30頃)が、今日は雲は出ているものの霧がなかったおかげで景色を見ることができました。雪がずいぶん残っていた前回とはうってかわって、短い夏を迎えて緑を増した乗鞍の山は景色も空気も最高。幌をおろしたロードスターを運転しながら「いいね〜」を連発してしまいました。畳平の駐車場は入るだけで混んでいるようだったし、今回の目的地はもっと先なので寄るのはまたの機会にしました。次回は登るぞ!
山々を横目に見ながらおそらく走り納めになるであろう乗鞍スカイラインで平湯峠へ。すこし長野県側に戻ってR471・R41を北上、富山県を目指します。途中上宝村の道の駅「奥飛騨温泉郷上宝」へ寄って朝食兼昼食。朝の9時から飛騨牛のカルビ丼、串焼きを食べてしまいました。

富山城をチラッと見て、地図でなんとなくチェックした雨晴海岸へ。雨晴駅にRSを停めて海岸へ出てみると…(画像の通り)誰も泳いでないっス。オートキャンプしてる人が数人と、ひなたぼっこしてるおっちゃんが一人いるだけ。すごすごと雨晴海岸を後にしました。
地図を見てみるともう少し先にも島尾海水浴場というところがあるようなので、そちらへ行ってみると海の家が2軒やっていて、ほ〜んの少しだけ泳いでいる人がいました。海で泳ぐとヒリヒリするし、サポーターの中まで砂が入って大変なので、雨晴に行った時点で泳ぐ気が大分削がれていたのですが、ここまできたので泳ぐことにしました。
島尾海岸は浜辺から10〜20メートルは足が届く浅さなのですが、そのせいか波がデカイ。浮き輪で漂うというより、波にぶつかったりして楽しむ海水浴場といった感じでナンダカンダいって波に弄ばれながら楽しんでしまいました。海の家でカキ氷を食べたら風がやたら涼しく感じられるようになってしまい、もう一回海に入ったら寒くなってきました。結局12時頃に着いて、2時間ほどで上がってしまいました。それでも今年も海水浴をしたのでノルマ達成(笑)。

長い帰路へ。R8で富山、滑川、魚津、黒部と走っていくと越中宮崎の辺りから左手に海を見ながらのドライブになります。海を見ながら親不知子不知、糸魚川を越え、能生の道の駅で買い物をしたりしてから、名立谷浜ICから北陸道・上信越道を利用して帰宅しました。ODOメーターを見てみると一日で約500kmのドライブ。山に行ったり海に行ったりとなかなかてんこもりの一日でした。それにしてもロードスターじゃなかったらこんなに走らないだろうなぁ。

あ、ちなみに帰りに雨に降られました。洗車して1日も持たなかった・・・(泣)

2002.08.17.sat

一日暇。昨日は雨が降ったり止んだりしたので、RSはかなりの汚れっぷり。洗車+ポリマーコーティングしました。この状態ができるだけ続きますように。

雨が降った時、水滴を弾きまくっているのが好きなので、撥水性のワックスやポリマーを愛用していますが、最近は親水性のコーティング材のメリットを良く聞きます。今使っているものを使い終わったら一度挑戦してみようと思います。(といっても当分終わりそうもありませんが)

5月にオイル交換してから4000km以上走ったので、オイル交換もしてきました。近くの黄色い帽子で値下げして3,980円というプライスのついたAgipのレーシングスペシャルというオイル(100%化学合成油 SL 10W-50)を入れました。オイルの良し悪しは相変わらずわかりませんが、交換直後のエンジンは気持ちイイ!

2002.08.16.fri

勤務はカレンダーどおりの予定でしたが、休みを取っちゃいました。そしてやっぱりドライブへ。今日の目的地は山梨県北巨摩郡明野村の山梨県フラワーセンター前のひまわり畑。

R141号線で佐久、臼田、八千穂を経てちょっと遠回りして南佐久郡南相木村。初めて行ってみましたが、温泉施設を見つけました。「滝見の湯」入浴はしませんでしたが、滝の流れ落ちる様を見ながら露天風呂につかれるようです。ただ、前日の雨で滝の水が茶色だったのが少し残念。

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高原野菜で有名な川上村の畑を見下ろせる馬越峠を経て、原浅尾韮崎線から増富ラジウムライン、茅ヶ岳広域農道を走ると明野村のひまわり畑に到着します。
今年で3年連続で行ってみましたが、今回は7分咲きという感じでした。「明野サンフラワーフェス」は8月いっぱい開催されているそうです。見頃はこれからですね。

昼食後、「増富ラジウム」という名称に興味を覚えたので、増富ラジウム温泉郷へ足を伸ばしてみました。温泉施設「増富の湯」に入ってみたいという思惑もあったのですがさすがお盆、駐車場には車が溢れていました。入浴はまたの機会にすることにしてそのまま山の方へ登っていってみました。するとイイ感じの渓流が。ず〜っとそのまま登っていってみたのですが、脇に車を止めて焚き火したり、食事している人たちが結構沢山いました。山の渓流だけあって涼しくてホントいいところでした。こんな所でいつかぼくもバーベキューでもしてみたいです。
さらに登っていくと瑞牆(みずがき)山林道を発見してそちらへ。山は岩山で険峻な感じでしたが、そのふもとにはきれいに整備された芝生の広場がありました。

韮崎や須玉近辺は何度も来たことがありましたが、富士山や富士急ハイランドなどへ行くためにいつも通り過ぎるばかりでした。今回ちょっと脇道に入っただけでいいところをいくつか発見できました。この辺りももっと開拓したいですね。今度は昇仙峡に行ってみようかな。

2002.08.15.thu

お仕事のあと、一旦帰宅して出掛けました。ガソリン入れて道に出るとき、右を確認すると視野にふとカラフルな物が見えました。なんだろうと思ってよくよく見てみると、ほぼ完全な半円を描いた虹。
こんなにキレイな虹を見るのは3年ぶりです。思わず手元にあったデジカメのシャッターを切ってしまいました。
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例年、諏訪湖の花火大会(打ち上げ数32,000発。盆地のため腹に響く爆発音が魅力)に行っていたのですが、打ち上げ会場付近に駐車してしまうと、駐車場から出るだけで3時間も掛かってしまったりして、今年は行かないことにしていました。

でも、ビーナスラインから遠くに見えないかな〜と走りに行ったら、なんとなく諏訪市街の方へ降りてしまいました。絶対に中心市街に行ったら大変だと思ったので、花火は遠くから見ました。
時間も遅かったので、見れたのもわずかでした。帰りはスムーズでしたが、やはりどうせ見に行くなら打ち上げているところの近くで見たいものだと思いました。来年は気合入れて行こうかな。

2002.08.14.wed

お仕事から帰ってから、母方の墓参り。伯父伯母とも久々に会いました。なんか2日連荘でお盆らしく過ごしたなぁ。

ウチでは信濃毎日新聞という新聞を取っているのですが、1面で宮崎駿の記事が載っていました。そこに
  “タダでさえ、子どもたちは成長とともに、可能性を失っていく存在です。
   子ども達の一瞬は、大人の一年にも匹敵します。大切な一瞬なんです。”

というコメントが。子どもは刻々と可能性を失っていく存在と捉え、だからこそ自由で元気になれる瞬間を残したいという考えがぼくの琴線に触れました。

diary20020814.jpg (23212 バイト)南原幹雄「謀将 山本勘助 下」(1998)

ついに川中島の合戦を迎え、勘助は「啄木鳥の戦法」という作戦を編み出す。しかしその戦法は謙信に見破られ、武田軍は劣勢になってしまい、手薄になった部分の援軍に向かった勘助は上杉軍に捕らえられてしまう。
実は武者修行をしている頃、幼い日の謙信とあいまみえた勘助はその頃から謙信に心酔し、自ら演出する天下分け目の合戦は謙信と信玄の間で行われるよう働きかけてきたのであった。そして啄木鳥の戦法を謙信に漏らしたのも勘助自身であった。しかし、戦果は前半が上杉軍の勝利、後半が武田軍の勝利であり、勘助の夢見た天下分け目の合戦とまではいかなかった。
謙信の居城春日城に起居するようになった勘助は謙信の軍師となり、謙信が天下人となる日を夢見る。
やがて信玄が上洛の夢をかなえるべく京へ向かうが、信長との三方ヶ原の戦いで戦場の露と消え、武田家は続く長篠の合戦で大敗を喫し、天下人は謙信か信長かに絞られてゆく。
そしてついに上杉謙信が織田信長と雌雄を決するべく戦に向かうという、ほんの2日前に謙信は信長によって放たれた刺客によって命を落としてしまう。
信玄対謙信というかたちでの大戦は叶わなかったものの、信長対謙信という天下分け目の合戦を目にできると思っていた勘助は意気消沈。
ますます勢いづく信長は日一日と天下人へと近づいていたが、その慢心した残虐非道な行いには非難が高まっていた。勘助は信長を討つことを決意する。

信玄、謙信、信長と戦乱の時代を駆け抜けた3人の名将たちの背後に山本勘助という人物がいて、戦国の世を演出したという物語。神出鬼没なその活躍はとても興味深く、楽しんで読むことができました。

2002.08.13.tue

お仕事から帰ってから、父方の墓参り。齢90ちかくにして一人暮らしの祖母と食事。

2002.08.12.mon

さすがにちょっと疲れが残ってました。午前中いっぱい充電しました。

2002.08.11.sun

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起きてみると眼前には再び青い空と都会の風景。9時ごろ朝食をとりに70階の展望レストランへ。混雑していたので順番を待つ間景色を見ていました。
ここから見えた景色は部屋とは反対側で、昨日行った赤レンガや観覧車、そのむこうの山下公園やマリンタワー、さらにその遠くの鎌倉方面のが見え、再び観入ってしまいました。(でっかい建築物が多いので遠近感がおかしくなります)

ふたりしか乗れない使えない(笑)ロードスターはランドマークタワーの駐車場においていくことにして、必要な荷物だけ持って電車で桜木町→横浜→鎌倉。今日も暑い!
鎌倉初心者ということでまず、鶴岡八幡宮へ。桜の並木が続く参道は八幡宮に近づくほど幅員が狭まり、実際よりも遠く見えるようになっているということを教えてもらい、感心しました。確かに遠くに見えると参道も長く見えますし、その参道を持つ鶴岡八幡宮の格が一段高く感じられます。
鶴岡八幡宮では「大銀杏デカっ」、「八幡宮の八が鳩になってるよ」などといった感想を抱きました。参拝したあと、大きな蓮がある池のほうに行ってみると大きな鯉のほかに亀がうじゃうじゃ。亀があんなに沢山いるところを観たのは初めてでした。あ、あと君が代にでてくる「さざれ石」もみました。小石をアスファルトで固めたような石でした。
駅へ戻る途中の小町通りで焼きたての煎餅を買い食いしたり、鎌倉納豆のふりかけ、お土産を買いました。

鎌倉駅からは初めての江ノ電。長谷駅で降りて、鎌倉大仏を観ました(300円)。胎内にも入りました(20円)が、首のまわりが補修してありました。吹き曝しでこれだけの大きな物を維持していくのは大変なのでしょう。胎内がサウナ状態だったので、さっきまで暑かった外が胎内から出たときだけは涼しく感じられました。

長谷駅のほうへ行く途中、遅めの昼食で蕎麦屋に入りましたが、コシがあってなかなか美味かったです。

昼食後長谷寺へ。小川の流れる庭、金箔の張られた10メートル近い高さの十一面観世音菩薩もきれいでしたが、境内にある見晴台から海が見えて海なし県人なぼくはテンション上がってしまいました。見晴台からは由比ガ浜、材木座海岸、三浦半島が見え、沢山のヨットが洋上にいました。

海を見に行くぞ〜!ということで江ノ電で鎌倉高校前へ。砂浜、海、江ノ島という風景はよくテレビで見る光景で、ちょっと感動。
サーファーな人たちが沢山いましたが、サーフボードに立って波に乗っている人はあまりいませんでした。海に面した道はすいているときに幌を下ろして走ったら気持ちいいだろうな〜。秋にでも来てみたいな〜

鎌倉駅に戻り友人の一人と別れ、桜木町に戻りランドマークタワーの駐車場へ。駐車料金を精算しようと駐車券を入れたら、駐車料金13,700円。ホテル利用のため、24時間1500円の割引券を持っていたので、追金1300円で済みましたが、一般利用者として停めていたらとんでもないことです。

帰りの首都高は行きとは打って変わって概ねスムースに流れていました。春日部でもう一人の友人のクルマにのっけてもらって3人で夕食を食べました(おごってもらっちゃいました)。
帰路に着いたら「アレ、携帯どこやったっけ」。クルマを停めて探してみると自分の携帯はないけど、友人の携帯が車内に残っていました。そこで友人のところに戻ってみると、自分の携帯はもう一人の友人の車の中。ふたりして旅行の最後にオチをつけてしまいました。

携帯を無事回収して、今度こそ帰路に。しばらく下道を走って、本庄児玉ICから高速道を利用し、25時30分頃無事帰宅できました。
友人と行ったということもあるかもしれませんが、今回の横浜・鎌倉旅行はかなり面白かったです。今回行ったところ(特に鎌倉)は一日しかなかったし、ほんの初心者コースだったと思うので、また行ってみたいと思います。

2002.08.10.sat

学生時代の友人と横浜と初めての鎌倉へ。

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松井田妙義ICから東松山ICまで高速道を利用。
約束の時間に余裕を持って出掛けたので、ピットイン大宮北に寄りました。小物やホイールなど見ていて飽きません。特に今気になっているのは車高調整サスペンションキット。走行距離も5万キロを越え、足回りのへたりを感じるようになったら車高調を入れてもいいかな〜と思っています。お店にはオーリンズ、クスコ、テインのほかに10万円を切るブリジストンの車高調が展示してありました。それらを観ながら、お店の人にいろいろ聞きました。ぼくはサーキットやジムカーナへ行くわけではないので、街乗り仕様の柔らかめのモノがいいと思っているのでオートエグゼのチューナブルサスに興味があるのですが、10万円を切るものも柔らかめだということなので、素人のぼくはいきなりいいものを買わなくてもいいのかなとも思いました。現在ついている純正足回りもリヤの車高以外は特に不満もないので、じっくり考えていきたいと思います。

春日部の辺りで友人を拾って草加から横浜を目指したのですが…モノスゴイ渋滞。向島の辺りからノロノロで、流れていれば約束の3時には十分着く筈だったのですが、4時になってしまいました。
予約してもらっていたのは横浜ロイヤルパークホテル。つまりランドマークタワーの50階から67階にあるホテルです。しかもぼくらの部屋はホテル最上階の67階。部屋に入ったとたん眼前には青い空のもと都心・副都心方面の風景が広がっていました。うわ〜ッと歓声を上げて窓にへばりついてしばらく景色に見惚れてしまいました。

diary200208102.jpg (22184 バイト)しばらく見蕩れていたあと、モノスゴイ暑いですが、せっかくなので辺りをぶらつくことに。やっぱり観覧車が目に付くので観覧車方面へ。以前来た時はそのすぐ近くに赤レンガ倉庫があることを知らなかった(知っていたとしても現在のような状況になっていなかったと思いますが)のでそちらへ行ってみました。とてもきれいな建物ですが、建物の中にはアンティーク家具や雑貨のお店がいくつもあってかなり面白かったです。
あ〜面白かったと戻ろうと思ったら、案内板に今見ていたのが2号倉庫で、ほかに1号倉庫もあるということでそちらへも行ってみました。2階特設会場では「J.トレンツ.リャド没後最大の原画展 ノーマン・ロックウェル&アメリカングラフィティーアート展」というものがやっていたので観てきました。世相を反映していたり、遊び心満点のノーマン・ロックウェルの作品(とくにエイプリルフールという作品はまちがい探しみたいで楽しいですよ)。近くで見ると絵の具が塗りたくられているように見えるのに離れてみると素晴らしい風景が浮かび上がるリャドの作品。
ノーマン・ロックウェルの原画もあってそこにつけられたプライス40,000,000円也…リャドも1千万単位のプライス…写しも数十万から数百万…絵にこれだけの高額プライスがつけられた状態で観るのは初めてだったので、絵と同時に価格にも楽しませてもらいました。(店員さんに購入を勧められてしまいました。絵の価値や良さもわかるような気がしますが、おいそれとは買えませんって…)

赤レンガを出ると外はすっかり夜。観覧車の下をまわってホテルに戻ると部屋からの風景はスゴイ夜景。再び見蕩れてしまいました。あとで高層ビルの存在を示す赤い明かりの点滅を友人が(風の谷のナウシカにでてくる)王蟲と言って、それからは遠くから怒りに燃えた王蟲が押し寄せてくるようにしか見えなくなっちゃいました。

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夕食がまだだったのですが、桜木町近辺のお店はほとんどやっていなくて横浜まで出て、韓国料理屋さんで一杯やりながら夕食をとりました。オーダーストップ(11時半)になってホテルへ戻り、夜景を観ながら3時半頃までとりとめのない話をしていつの間にやら前後不覚。

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南原幹雄「謀将 山本勘助 上」(1998)

武田家重臣板垣駿河守信形は同盟国今川領内で襲撃を受ける。劣勢の板垣を救ったのは訓練された犬と小柄な男を伴った隻眼の容貌魁偉な山本勘助であった。摩利支天を尊崇し、兵道に関心をいだき、諸国をめぐり山伏兵法を続け、軍法に研鑚をつみ、城取り、陣取り、城の縄張りなどをひろくおさめた勘助は今川家に仕官を求めていたが、達せられずにいた。板垣は勘助を高く評価し、近頃国主となった晴信(のちの信玄)に推挙する。
表向きは今川家に仕官がかなえられずにいると思われていたが、今川家家臣の<耳>として使役されていた勘助はスパイとして武田に送り込まれたのだ。しかし、お目得の場で晴信の理知聡明な光が輝く容貌・眸に武田家へと惹かれてゆく。
諸国を巡り歩いた勘助は天下人となる可能性のある2・3の人物に目をつけており、いつか自らの才覚によって天下分け目の決戦を演出することを夢見ていた。そして、その人物の一人に武田晴信は数えられていた。(あとのふたりは後の上杉謙信と織田信長)
勘助はその才覚を遺憾なく発揮し、晴信の信頼を勝ち得、また武田家は勘助の兵法、築城技術などを取り入れ、戦国の一大勢力へと成長してゆく。
上巻では信玄の永遠のライバル上杉謙信との「川中島の合戦」前夜までを描く。

実在したとも架空の人物であるとも両論ある山本勘助。興味をいだいていた人物だったので、図書館で題名を見て手にとりました。謎の多い人物だけに作家さんは筆力を思うがまま揮えるのではないでしょうか。戦国の時代における活躍だけでなく、50の齢を越えたほのかな恋慕など、実際楽しく読めました。
南原幹雄さんという作家の著作を読むのは初めてでしたが、なかなか良かったです。戦国時代を舞台にした作品を沢山書いているようなので、折をみて他の作品も読んでみたいです。とりあえず、次は下巻です。・・・どこへ置いたっけなぁ

2002.08.07.wed

テニスでいい汗かいてきました(プレーはかならずしもよくないですが)。

毎日猛暑(酷暑?)の日が続きますが、基本的には事務仕事をしているので、快適な職場でお仕事をさせてもらってます。ですが、暑い時に汗一つ流さずに冷房漬けなのもどうかな〜と思います。やっぱり、暑い時は暑い時なりにしっかり汗をかくことも必要ですね。

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今日気付きましたが、このホームページを開設してから1年が経過しました。こんなに続くとは思いませんでしたが、延べ15,000人もの人に来てもらったのが励みになってここまでやってこれたと思います。有益な情報はほとんどありませんが、ボチボチやっていきますんで、これからもよろしくおねがいします。

お仕事のあと、美ヶ原高原美術館のほうから、白樺湖へビーナスラインを走ってきました。
天気が良かったのでキレイな夕焼けが見れるかと期待していったのですが、雲が出ていて見ることはできませんでした。でも他のクルマがほとんどいなくて終始ほぼマイペースで気持ちよく走ることができました。また、肌寒いほど涼しくて快適でした。やっぱビーナスラインはイイ!

2002.08.05.mon

某映画会社の教育映画にエキストラ出演しちゃいました。といってもどうでもいい場面なんで、作品になったら映ってないかもしれませんけど。
でも完成品をちょっとだけ楽しみにしてたりして。

地元の花火大会(ちとショボめ)に消防団として動員。といっても何かあったときのための動員なので、特にコレをやるということもありません。集合は打ち上げの2時間も前でしたが、手持ち無沙汰で川に石を投げたり喋ったりしていました。打ち上げが始まるとブルーシートを敷いて、用意された弁当やお菓子をつまみながら寝転んで花火を見ていました。
打ち上げ場所から100mも離れていないところで観ていたので、迫力は満点。ホントに真上で花火が花開くので、そのまま落ちてくるんじゃないかというほどでした。
特に何の問題もなく、大会終了後にはきっちり帰ることができました。

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職場のほかの人のヘルプでご出勤。一日潰れてしまいましたが、たいした労力を費やすこともなく1日分の代休ゲット。いつ使おうかな〜

サマージャンボ宝くじを10枚買ってきました。一等でなくてもいいから当たって〜!

夕方から猛烈な勢いで雨が降りました。災害がでなければいいな〜と思っていたら、出掛けた帰り道、歩道が3mほど陥没しているところに出くわしました。人通りのあるところではなかったので、大きな事故等にはつながらなかったと思いますが、油断を怠らないよう気をつけなければなりませんね。

切通理作「宮崎駿の<世界>」(2001)

説明するまでもなく、「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」など名作アニメ映画の監督宮崎駿の創作の世界に迫る一冊。
それぞれの作品の製作時のエピソードや周りの人々の語録、世相についての言及や、上に列挙した作品だけでなく、スタッフロールに名前も出ないような頃から氏が携わってきた作品にも触れ、それらがなぜ人の心をひきつけるのかを検証しています。

それぞれの作品のあらすじも収録されており、新書とは思えないほどの厚みですが、一気に、しかも納得しながら読み進めることができました。
ぼくも宮崎作品のファンですが、他のアニメと比べて何故あれほどに心地良いのか漠然と感じていたものが何だったのか胸に落ちました。次にそれらの作品を見るときには、何度も観ているにもかかわらずさらに楽しめるように思います。宮崎作品が好きな人なら一読しておいて損はありませんよ。きっと新しい発見があると思います。

2002.08.03.sat

ここしばらく、クラッチを踏み込んだ時のキーキー音が気になっていました。キーキー音がするというだけのことだけではありますが、結構気になって、なんだか運転もギクシャクするような気がしていて、午前中は暇だったのディーラーへ。
「最悪ミッションを下ろすこともありますよ、そこまでってことはないでしょうけど」などと脅されてしまいましたが、クラッチレリーズ給油(工賃金3,000円也)で症状改善。気持ちよいドライブを取り戻すことができました。

帰宅してみると用事の時間までは若干時間があったので、「塗るフィルム ウィンドペイントα」を施工(maintenance参照)。施工から1時間程度でムラはなくなるということだったのですが、暑すぎたらしく、ムラが残り、白っぽくなってしまいました。仕方なく、落としてしまいました。準備に1時間位掛けて施工したのですが、さらに1時間かけて拭き取りました。
結局徒労でしたが、多少は慣れたのでいい季節にもう少しムラになりにくい色で再挑戦してみようかな〜。

地元の夏祭りに動員。・・・ちかれたぁ。

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妹尾河童「少年H 下巻」(1999)

戦時下を少年の視点から描いた著者の自伝的小説の下巻。
意地の悪い教官に目をつけられたHはその教官が手出しできない教練射撃部に入り、厳しい訓練の日々を送る。射撃の練習の中で敵を倒す銃を嫌悪する一方で射撃の面白さに惹かれもする。
一方戦局は悪化の一途をたどり(新聞は空襲による被害は軽微と嘘の報道ばかり)、Hの家も空襲により全焼し、女子どもたちの疎開が進められ(Hもいったん疎開するが再び神戸に舞い戻る)、学校は農作業が増え、さらに軍事工場と化してゆく。
やがて広島・長崎に原子爆弾が投下され、日本はポツダム宣言を無条件で受諾。戦争が終わる。突然戦争が終わったにもかかわらず、天皇の声明により暴動などがほとんどなくその事実が受け入れられたことに対して、Hは戦争を始めたのも終わりにしたのも天皇であることから、天皇とは一体なんだろうと考える。
また、戦争が終わった途端に、異常なまでの軍国主義者だった教官が普通のオッサンになったり、周りの大人たちがかなり以前から戦争に負けることを感じていたのに(できなかったのではあるが)それを口にしなかったこと、さらに家族4人で暮らせるようになったものの、折角の食料を人に与えてしまう母、紙一枚で仕切られた住宅で隣家から覗かれる生活に頭がおかしくなりそうになったHは衝動的に自殺を図る。自殺は未遂に終わったものの、家には帰れないと思い学校の一室に住み着く。
信用できない教師をボイコットするHは落第ぎりぎりだったが、なんとか学校を卒業し、昼は看板屋、夜はアトリエの「フェニックス工房」に就職し、苦しいながらも楽しい生活をおくる。

現代から戦時中を省みて書いているので、Hと他の人々との差異を際立たせるためにも行動や思考には多分に脚色が加えられていることとは思います。しかし、戦時中には総軍国主義、戦争が終わった途端にデモクラシーの波に流される大衆に対して、一貫して民主主義的な考え方をしていたHがなんだか信じられない気持ちになったのはわかる気がしました。表に出す出さない、世情に関わらず、流されることのない自分なりの信念を持つことが必要だと思うので。

上巻は戦争の影を感じながらも面白いエピソードがありましたが、戦争真っ只中の下巻の内容は(淡々と描いているので苦にはなりませんが)かなり重いです。戦争の愚劣さがよくわかります。ベストセラーですから読んだ方も多いと思いますが、未読の方は読んでみて損はないんじゃないかと思います。読みやすいですし。


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